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花祭り

更新日:2019/04/26

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「花祭り」は、お釈迦様の誕生をお祝いする行事です。お寺が関わっている保育園、幼稚園では、必ず行われています。本当は、4月8日がお釈迦様の誕生日と言われているのですが、4月8日に行事を行うことは不可能です。保育園に通ったことがある方なら説明は要らないと思います。ですから、4月の終わりから5月の初めの間で、適当な日に行っています。

お釈迦様は、生まれてすぐに7歩あるき、右手を上に左手を下にして、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」とおっしゃったと言われています。「天上天下唯我独尊」の意味は、「この世の中に私という人間は私しかいない、だから私は尊い」というものです。「私は偉い」、「私は優れている」という比較の意味ではなく、「私の存在そのものが尊い」という絶対的な意味です。

そして、花祭りには甘茶を飲みます。飲んだことがある方はよくご存知でしょうが、甘茶は不思議な味がします。お茶の葉を煮出しただけなのですが、とても甘い味がします。まったく砂糖は入っていないにも関わらず。ある意味で、究極のダイエット甘味飲料です。

その甘茶をお釈迦様にかけ、手を合わせてお祝いするのが「花祭り」という行事です。近隣のお寺や、お付き合いのある寺でも行っているところがあるのではないでしょうか。是非、参加してみてはいかがでしょうか?

 保育園では、お釈迦様の描かれた冠をつけて参加します。その姿はとてもかわいいです。

圓照寺略史 上

更新日:2018/12/18

「社会福祉法人 徳風会」の「徳風」という字は、大正十四年に「圓照寺」境内に開園した「徳風保育園」からとったものです。では、その「圓照寺」とはどんな歴史があるのか、興味のある方は下記をお読みください。

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 当山の開創は、源頼朝の弟・源義圓(幼名乙若丸)の子、源阿佐美之介みなもとのあさみのすけ(1188~1266)が親鸞しんらん聖人鎌倉ご逗留のみぎり聖人に帰依し弟子となり、聖人より法名ほうみょうを「釈明願しゃくみょうがん」と賜り、鎌倉名越坂に寶満寺ほうまんじ(又は、法満寺ともいう。圓照寺の元の名)を建立したのが、1224年と伝えられています。今から800年ほど前のことであります。

 鎌倉市の名越坂下に、今でも「寶満寺畑花見畑」の名が残っています。元亨釋書(虎関釋書著、1323年完成、日本初の仏教通史)巻七の四・円覚寺昭元伝に「釋昭元が鎌倉瑞鹿山円覚寺にいたが1311年に病気のため円覚寺を辞退して寶満寺に寓居した」とあります。
 その後、1572年前後には、三崎の宝満町ほうまんちょう(現在の三浦市三崎一丁目から二丁目あたり)に移転していたようです。三崎城主・北条氏規ほうじょううじのり(群馬県館林城、伊豆韮山城も領す。小田原城主北条氏政の弟)の、宝満寺宛ての1572年付けの朱印(眞實印)状が当山にもあります。これは三浦市現存最古の文書であります。
1614年には、徳川家康の水軍大阪冬の陣進発の船手ふなて勢揃いを宝満寺境内にて行いました。1620年、戦勝祝いとして三崎奉行・向井兵庫頭むかいひょうごのかみより現在地を寄進(寄進状現存)されここに移転しました。
このころ、第十一世釋乗善のとき、寶満寺(宝満寺)を圓照寺えんしょうじに改めました。又、本山より許可を受け院号を寶満院と称すようになりました。

*原文は現住職・釈英照によるものです。

「圓照寺略史・下」に続く

成道会(じょうどうえ)

更新日:2018/12/08

12月8日は「成道会」です。「成道会」とは、2500年前の北インドにおいて、「ゴウダマシッタールダ」という個人が悟りを開き、「お釈迦様」になった日です。
つまり、仏教が始まった日と言えます。だから、仏教では「成道会」を特別な日としています。

と言っても、それが何?というのが普通の受け止め方でしょう。ですので、ごく簡単に説明しますと、
成道会は「ただの人間が、仏教の教えに目覚めてお釈迦様という公的な存在になった日」とお考えください。
別に、この日を境にすごく偉くなったということではなくて、仏教を最初に語ったと言う意味において公的な存在になったと捉えればよいと思います。
ですから、お釈迦様は肉体的に特別な人間でもないですし、生活そのものは普通だったはずです。寿命がくれば亡くなりましたし、ご飯も食べたでしょう。
一部の偏った考えでは、「悟りを開くと超人になる」というような捉え方もあるようですが、私は違うと思っています。
お釈迦様も、お腹が減ればご飯も食べたでしょうし、生理現象も普通にあったはずです。人間ですから。

では、その悟りの内容は何かというと、これもごく簡単に言うと、「私は縁によって成り立っている」というシンプルなものです。
逆に、シンプルすぎて分かりにくいかもしれません。要するに、
「私は縁によって成り立っている」→「私は多くの縁に支えられなければ生きられない」→「私が生きているということはそれだけで尊いことである」
ということだと思います。
実際には、「私はただ生きている」というだけでは満足できません。
もっとお金が、もっと地位が、もっと名誉が、と常に求めています。
しかし一方で、そのほとんどがかないません。また、仮にひとつがかなったとしても、さらに上を目指すのが私です。
ですから、私はいつも不平不満や愚痴がマグマのようにたまった状態です。
そんな私にお釈迦様は、「真実は、生きているということだけで尊い、だから世の中は感謝にあふれているよ」と話されたいのだと思います。
マグマの噴火は災害を起こしますが、感謝の心は人を幸せにします。私もいつか、お釈迦様の言葉に本当にうなづけたらと願っています。

社会福祉法人徳風会 理事長 稲垣

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