《アンサング・ヒーロー》 平成21年12月1日作成
日本経済新聞の2008年11月27日の夕刊に、分子生物学者の福岡伸一さんのコラムの文章がありました。以下に要約して紹介します。
「過去のノーベル賞の業績をつないでいくと、科学の発展の華麗な歴史を語ることができる。しかし、それは遠くから北アルプスを眺めて、あれが奥穂高、あれが北穂高、あれが槍ヶ岳、と稜線をつなぐ行為に似ている。実際には、巨大な山の塊とその裾野がどこまで広がっているのかという実像は、よく見ることができない。
今から50年程前、二人の若い科学者、ワトソンとクリックは、DNAの構造が二重螺旋構造をとっていることを明らかにした。そして分子生物学の幕が切って落とされた。ワトソンとクリックの発見は、20世紀最大のエポックとして歴代のノーベル賞の中でもひときわ輝いている。
しかし、DNAの構造を明らかにすればそこに素晴らしい褒章が待っていると彼らが考えたのは、DNAこそが遺伝物質の本体であることが、既に先人によって分かっていたからである。また、DNAが対構造をとっているというアイディアに彼らが到達できたのは、DNAの組成を詳細に調べていた先人がいたからである。またそれが螺旋状にからまっていることに気づいたのも、他の研究者が出した結晶構造のデータを知るチャンスがあったからである。つまり、頂上に達した一握りのノーベル賞受賞者への道筋は、すでにたくさんの人々によって拓かれていたのである。それらの人々はノーベル賞受賞者と同じか、あるいはそれ以上の切実さを以て、自然の謎を知りたいと願ったのである。謳われることがなかった英雄たち、アンサング・ヒーロー。私は、彼ら彼女らに限りない親しみを感じる。」というものです。
私たちは、自分が得たものや栄誉を全て自身の努力の成果だと考えます。しかし実際には、このコラムのように多くの先人があって今の私たちがあるのだと思います。浄土真宗では、葬儀や法事は報恩感謝のために勤めると考えます。それは、先人の業績を含め、多くの恩恵のお蔭をもって今の私たちがある、という考えに基づいているのです。
*私は見たことはないのですが、「アンサングシンデレラ」という病院薬剤師さんの活躍を描いたテレビドラマ(中身を見てないので本当のところは分かりません)の宣伝を見て、過去に書いた自分の文章を思い出して、今回ファイルから見つけ出しました。新型コロナウイルスの感染拡大の中で、多くの医療関係者の方々が奮闘していることは間違いありません。しかし、私たちはその姿を見ることはありません。なぜなら、私たちがテレビを通して見ることができるのは、危険なウイルスとの戦いの最前線でもないですし、最前線で戦う医療関係者の方々の姿でもないでしょう。でも確かに、謳われない多くのヒーローが、懸命に戦っているはずです。*日付は、文章を作成した日付となっています。*その後の私のコメントが付いているものもあります。
「動物たちは元気です」㏌油壷マリンパーク
油壷マリンパークはお休み中ですが、
「動物たちは元気です」(YouTube動画)
癒されるので、よろしかったらご覧ください。
《上野動物園のゴリラ》平成二十六年十月一日
昨年の六月頃にラジオを聴いていると、元・上野動物園の園長だった方が、次のような話をしていました。
上野動物園では、約五十年前にゴリラの檻にそれまでの鉄製の柵に変えて強化ガラスを設置したそうです。鉄製の柵に比べ強化ガラスは死角がなくて見やすくなるだろうという事で、上野動物園では初めて強化ガラスの檻を設置したそうです。
しかし、初めて設置して見ると思いもよらない大きな問題が発生しました。ガラスの檻を設置してから突然、ゴリラが下痢をし始めたそうです。治療法も分からず、原因も分からずほとほと困ってしまったんだそうです。そんなある時、ゴリラの檻の非常用の鉄の柵が誤作動で降りてしまうという事故が起きました。初めての試みだったので強化ガラスだけでは不安だったのでしょう。万が一の時の為に設置していた鉄の柵が誤作動を起こして、降りてしまうという事故が発生したそうです。
すると不思議な事に、ゴリラの下痢がピタッと止まったのだそうです。要するに、人間とゴリラの間を隔てる鉄の柵が無くなってより不安に思っていたのは、人間ではなくゴリラの方だったという事なのです。
私たち人間の方から見れば、ゴリラが人間を襲うのではないかと心配していましたが、ゴリラの方から見れば人間に襲われるのではないかと不安で不安で体調を崩し、下痢をしていたというのが真実なのでしょう。言われてみれば、本人の気持ちに反して拉致され、動物園に連れてこられているのはゴリラの方です。人間の方は、自ら望んで動物園に足を運び、好きでゴリラを見ているわけです。両者を分ける柵が無くなってより恐怖やストレスを感じるのは、ゴリラの方なのは当たり前の事です。
よく、「相手の立場に立って考えなさい」と言いますが、これはなかなか難しいものです。動物園のプロの飼育係でも下痢をするほど怯えているゴリラの気持ちが分からないのですから、私のような鈍感な人間には、人の心を推し量るなんて事は出来るはずがありません。
*日付は、文章を作成した日付となっています。
*その後の私のコメントが付いているものもあります。
《カブトムシの角》平成二十六年七月一日
副題「仲間内では強いが天敵に狙われる」
4月7日の朝日小学生新聞に「カブトムシの角、大きいのは有利不利?」という一面記事が載っていました。次に内容の概要を紹介します。
『カブトムシのオスにとって、角は大きいのと小さいのとどちらがいい?これはどちらともいえない、難しい問題だということが東京大学の研究で分かりました。けんかに有利な大きい角は、カブトムシの天敵のタヌキやカラスにとって、格好の目印かもしれないのです。
研究者の小島さんによると、虫たちが集まるクヌギやコナラの木の周りには、何者かに食べられたカブトムシの死体が落ちていることがあります。その犯人は、主にタヌキだそうです。また、そして、その食べられたカブトムシの死体を見ていると、メスよりもオスのほうが圧倒的に多く、オスの角が大きいことに気付きました。
そこで、罠でとらえた約250匹と、食べられた死体約250匹を比べました。両者のオスの角の長さを比べてみると、罠でとらえた方の平均は20.8ミリ、死体の角の平均は23.9ミリ。当初の直感通り、タヌキたちに食べられた死体の方が、角が大きい事が分かりました。
小島さんは、「なぜ食べられた死体の方が、角が大きいのか」について、次のように推測しています。いくつか理由が考えられるが、「単純に大きさが目立つ」という理由が、一番有力だそうです。主な犯人であるタヌキは目が悪く、或る程度の大きさがないと見過ごしてしまうことが、仕掛けたカメラの映像から分かりました。
また、ほかの理由として、角が大きいためにオス同士の争いに勝ち、樹液のそばに長くいる、メスを探してうろうろしている、といった「行動が目立つ」という理由が考えられるそうです。
「角が大きいと、けんかやメスの奪い合いで圧倒的に有利なため、角が小さいカブトムシは生き残るのは難しいはず。でも今回の結果で、小さいのも悪い事ばかりじゃないと分かりました。」と、小島さんは言っています。』
人間の世界でも、オスは身長が大きい事は良いこととされています。端的にいうとモテます。私は身長が低いので、小さい頃から体の大きさには常にコンプレックスを持っています。もう少し身長が高ければ人生が違っていたのではないか、と今でも思います。同じような思いを持つ人は多いと思います。この甲虫の記事を読んで思うのは、なるほど「大きい事は良い事だ」というほど世界は甘くないものだなと言うことです。自分自身を顧みても、自分のコンプレックスを跳ね返すためにいやいやながら勉強をし、仕事をしてきたような気がします。背が高かったら、良かったかどうかは分かりません。逆に、小さいために目立たず、罪を見逃されてきたこともあるのかもしれません。
「仏の智慧は全てを見通し、人間の知恵は物事の一部しか見ていない」、と経典は言います。今回も大きな角を持つ甲虫の苦労も知らずにいた自分の不明に気付かされました。大きいがゆえに狸に食べられた甲虫に、大変申し訳ない事をしました。人間も甲虫も、見掛け上の善し悪しだけでは分からない苦労があるものだ、と考えさせられました。*甲虫=カブトムシ
*日付は、文章を作成した日付となっています。
*その後の私のコメントが付いているものもあります。
《怒る》平成七年十二月一日
先日お寺関係のある集まりで、あるお坊さんが次のような話をしていました。
『ある日、お寺に門徒さんのおばあさんが怒って来たんですよ。そしてこんなことを言っていました。
「うちの嫁は私が出かけるとき、いってらっしゃいと言わなかったんですよ。うちの子はちゃんといってらっしゃいと言ったのに。全くなんて嫁かしら。」
それから火が点いたように次から次へともうお嫁さんの文句が飛び出してくる、飛び出してくる。そして暫くしてひとしきり文句をいい終えると、このおばあさんは帰られたそうです。
ところが、ホッと一息ついていると、このおばあさんから電話がかかってきました。さっきあれだけ充分話したのに、まだ文句が言い足りなかったかと思って電話に出てみると、
「さっき言った事はなかったことにして下さい。」
と言われるのです。驚いて、
「えっ、どうしてですか。さっきあんなに怒っていられたのに。」
と聞くと、
「今帰ってきたら嫁がニコニコして、お帰りなさい、と言って迎えに出てくれたんです。それで何かさっき言った事が嫁に対して悪いような気がしてきたので。」』
というお話です。
何だか面白い話ですね。お嫁さんが知らない間に勝手に怒って、そして勝手に反省して。
皆さんにもこんなことはありませんか。私は何か腹の虫の居所が悪い時に似たようなことがあります。自分で勝手に怒って、暫くしてみると、自分でもなんであんなに怒ったのか分からなくなる時があります。時には、自分の都合や気分だけで相手を傷つけてしまっているような気がします。皆さんはどうでしょう。心当たりはありませんか。
*私は息子とよく喧嘩します。原因は他愛無いことなのです。ただ、お互い謝る事も出来ず、意地の張り合いで喧嘩してしまいます。私が大人なので、大人気ないのは私なのですが、感情というのはいくつになっても制御不能です。仕事では多少は我慢できるようになったのですが、基本的には融通の利かない性格なので、仕事上の付き合いのある人は随分手を焼いていると思います。申し訳ありません。「三つ子の魂百まで」と言いますが、私の大人気なさは死ぬまで治りそうもありません。
*日付は、文章を作成した日付となっています。
*その後の私のコメントが付いているものもあります。
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