羽沢保育園
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感染症について

更新日:2019/07/19

1907infection.jpg報道等でもあるように、全国的に手足口病が流行しているようです。横浜市でも、同時期の患者さんの数が、例年になく多いことが既に分かっています。手足口病に限りませんが、保育園では感染症の予防を引き続き行ってまいります。
しかし、残念ながらそれでも保育園内で感染症を完全に防ぐことは出来ません。万が一、感染症にかかってしまったときは、速やかに医療機関を受診するようにお願いします。またそのような場合は、完全に治るまでしっかりとご自宅でお休みするようにお願いします。保育園での集団感染を防ぐには、これらのことをしっかりと行っていくことが重要です。是非、お願いいたします。
横浜市感染症情報センターの資料を添付しています。どうぞご覧ください。
理事長 稲垣

花祭り

更新日:2019/04/26

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「花祭り」は、お釈迦様の誕生をお祝いする行事です。お寺が関わっている保育園、幼稚園では、必ず行われています。本当は、4月8日がお釈迦様の誕生日と言われているのですが、4月8日に行事を行うことは不可能です。保育園に通ったことがある方なら説明は要らないと思います。ですから、4月の終わりから5月の初めの間で、適当な日に行っています。

お釈迦様は、生まれてすぐに7歩あるき、右手を上に左手を下にして、「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」とおっしゃったと言われています。「天上天下唯我独尊」の意味は、「この世の中に私という人間は私しかいない、だから私は尊い」というものです。「私は偉い」、「私は優れている」という比較の意味ではなく、「私の存在そのものが尊い」という絶対的な意味です。

そして、花祭りには甘茶を飲みます。飲んだことがある方はよくご存知でしょうが、甘茶は不思議な味がします。お茶の葉を煮出しただけなのですが、とても甘い味がします。まったく砂糖は入っていないにも関わらず。ある意味で、究極のダイエット甘味飲料です。

その甘茶をお釈迦様にかけ、手を合わせてお祝いするのが「花祭り」という行事です。近隣のお寺や、お付き合いのある寺でも行っているところがあるのではないでしょうか。是非、参加してみてはいかがでしょうか?

 保育園では、お釈迦様の描かれた冠をつけて参加します。その姿はとてもかわいいです。

お別れ会午後の部

更新日:2019/02/22

お別れ会の午後の部では、「林家 喜之輔」さんと「三遊亭 あら馬」さんの、「紙切り」と「落語」を鑑賞しました。
喜之輔さんは紙切りを、あら馬さんは落語を披露してくれました。
興味のある方は、落語芸術協会のHP( http://www.geikyo.com/index.php)をご覧ください。
林屋喜之助さん三遊亭あら馬さん

羽沢保育園のお別れ会

更新日:2019/02/20

今日は羽沢保育園のお別れ会、午前は劇団ひとみ座さんの楽しい人形劇を鑑賞しました。演目は「ひよことにわとり」、とても楽しかったです。
下記のホームページもご覧になってください。
劇団ひとみ座ホームページ http://hitomiza.com/youji/youjigekijyou2012.html

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圓照寺略史 上

更新日:2018/12/18

「社会福祉法人 徳風会」の「徳風」という字は、大正十四年に「圓照寺」境内に開園した「徳風保育園」からとったものです。では、その「圓照寺」とはどんな歴史があるのか、興味のある方は下記をお読みください。

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 当山の開創は、源頼朝の弟・源義圓(幼名乙若丸)の子、源阿佐美之介みなもとのあさみのすけ(1188~1266)が親鸞しんらん聖人鎌倉ご逗留のみぎり聖人に帰依し弟子となり、聖人より法名ほうみょうを「釈明願しゃくみょうがん」と賜り、鎌倉名越坂に寶満寺ほうまんじ(又は、法満寺ともいう。圓照寺の元の名)を建立したのが、1224年と伝えられています。今から800年ほど前のことであります。

 鎌倉市の名越坂下に、今でも「寶満寺畑花見畑」の名が残っています。元亨釋書(虎関釋書著、1323年完成、日本初の仏教通史)巻七の四・円覚寺昭元伝に「釋昭元が鎌倉瑞鹿山円覚寺にいたが1311年に病気のため円覚寺を辞退して寶満寺に寓居した」とあります。
 その後、1572年前後には、三崎の宝満町ほうまんちょう(現在の三浦市三崎一丁目から二丁目あたり)に移転していたようです。三崎城主・北条氏規ほうじょううじのり(群馬県館林城、伊豆韮山城も領す。小田原城主北条氏政の弟)の、宝満寺宛ての1572年付けの朱印(眞實印)状が当山にもあります。これは三浦市現存最古の文書であります。
1614年には、徳川家康の水軍大阪冬の陣進発の船手ふなて勢揃いを宝満寺境内にて行いました。1620年、戦勝祝いとして三崎奉行・向井兵庫頭むかいひょうごのかみより現在地を寄進(寄進状現存)されここに移転しました。
このころ、第十一世釋乗善のとき、寶満寺(宝満寺)を圓照寺えんしょうじに改めました。又、本山より許可を受け院号を寶満院と称すようになりました。

*原文は現住職・釈英照によるものです。

「圓照寺略史・下」に続く

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